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盛岡市 |
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月館 八百八 |
1801~1887 |
彫物、金具師 |
盛岡市出身。幕末の彫物師、御金具師。代表作は「雲竜図鐔」。数多い作品の多くが県外の好事家の手に渡り、地元にはわずかだが、県指定文化財として残されている。 |
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川口 月嶺 |
1811~1871 |
絵画 |
鈴木南嶺に衛を学び、1846年、南部藩38代利済のもとで御絵御用を勤める。代表作は「双鶴図」。 |
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川口 月村 |
1845~1904 |
絵画 |
月嶺の子。北海道開拓に出仕し測量図作成の傍ら多くの写生帖を残す。内国勧業博覧会等に毎回褒章を受ける。東京武術学校教師に推薦されるも一蹴。 |
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藤島 静村 |
1863~1935 |
絵画 |
盛岡市出身。月村に学ぶ、最初の美術団体彩友会を創立。1914年大阪に静友会画会を起こす。金沢各地を巡る。代表作は宮内省買い上げ「鶴」双幅。 |
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池田 龍甫 |
1885~1974 |
絵画 |
1914年東京美術校在学中文展入選。県立美術学校設立に尽力。1951年盛岡短大教授。岩絵具を使う本格的大和絵画家として本県最後の人。1969年、岩手日報文化賞受賞。 |
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中井 汲泉 |
1892~1970 |
絵画 |
京都出身。京都市立絵画専門学校に在学中文展入選、1929年盛岡中学着任。県産材を使い郷土玩具や灯玩具も創作し、方言絵葉書など民芸調の作品を県外に紹介している。1956年岩手日報文化賞受賞。 |
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海野 三岳 |
1851~1911 |
絵画 |
岩手の洋画の先駆者。1884年盛岡中学教諭、同年県勧業博覧会で褒状を受ける。教え子に五味清吉や清水七太郎など。 |
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清水 七太郎 |
1889~1967 |
絵画 |
盛岡市出身。洋画発展の功労者。萬鉄五郎に兄師。春陽会を経て自由美術協会会員。官展には出品せず在野を貫く。郷里では北虹会中心メンバー。 |
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五味 清吉 |
1886~1954 |
絵画 |
岩手美術界の指導者。1910年北虹会結成、同年文展初入選。1913年東京美校西洋画課首席卒業。1920年渡欧。文展、帝展に数多く出品。1951年岩手日報文化省受賞。 |
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松本 竣介 |
1912~1948 |
絵画 |
東京出身。1925年、盛岡中学入学、聴覚を失う。1929年、太平洋画会研究所に通う。1935年二科展初入選、以降連続出品。1940年同展特待を受ける。色と線の画家と呼ばれた独特の色調と描線が特徴。 |
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橋本 八百二 |
1903~1979 |
絵画 |
紫波町出身。橋本美術館創設者。1926年帝展初入選。岩手県議、議長、観光連盟会長などを歴任し、1966年日展入選。1970年岩手日報文化賞受賞。1975年、私財を投じ盛岡橋本美術館を建設、主宰。(平成13年閉館) |
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堀江 尚志 |
1897~1935 |
造形 |
盛岡市出身。1920年裸婦像で帝展特選。1925年少女座像で帝展推薦。出品作のほか、横川省三像、桜山神社燈篭、志和稲荷狛犬がある。 |
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内藤 春治 |
1895~1979 |
鋳金 |
盛岡市出身。1941年より文展審査員、1947年より日展審査員歴任。正倉院金工品調査、薬師三尊修理、鎌倉大仏修理、伊勢神宮御神宝鏡製作などにあたる。1969年勳三等端宝賞受賞。 |
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鈴木 貫爾 |
1919~1982 |
鋳金 |
14代鈴木盛久(南部鉄器の釜師)。1946年日展初入選、1953年伊瀬神宮御紙鏡、1963年二重橋高欄の制作で内藤春治に協力。1973年東京芸術大学教授。 |
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吉川 保正 |
1893~1984 |
美術研究 |
宮古市出身。1921年帝展初入選。1927年雲南省美術専門学校教授、1948年岩手県重要美術品等調査員当歴任、1964年県教育表彰。1974年勳五等双光旭日賞受賞、1979年岩手日報文化賞受賞。 |
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葛西 萬司 |
1863~1942 |
建築設計 |
平泉町出身。1903辰野葛西事務所設立。日本銀行、東京駅等設計。郷里では旧盛岡銀行本店、旧盛岡貯蓄銀行等を設計。 |
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深沢 紅子 |
1903~1993 |
絵画 |
盛岡市出身。22歳で二科展で2点初入選、女流画家の先駆者。1941年一水会賞を受賞。1959年には「立てる少女」が旧文省買い上げとなり東京国立近代美術館に収蔵。「野の花」など独特の世界の作品。 |
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