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 伝説 | 小説 | 年間行事

伝説

伝説名 作品の舞台、ゆかりの場所
内容、あらすじ

 盛岡市 | 八幡平市 | 雫石町 | 岩手町 | 滝沢市 | 紫波町


盛岡市
酒買い地蔵 永祥院、酒買地蔵尊、酒買地蔵
昔,材木町のある酒屋に毎晩酒を買いにくる物言わぬ小僧がいた。ある晩,貸した小樽を返さぬことに腹を立てた番頭は小僧の頭を木槌でなぐってしまうが,帰って行く小僧の身を案じあとをつけていく。永祥院のお堂の前までくると小僧の姿が見当たらず,中をのぞくと小樽が山積みになっていた。ふとお地蔵さんを見上げると眉間に傷がある。その時酒屋の耳に「お客さまには親切にしておあげなさい」と鈴のような声が聞こえた。お地蔵さんが化身して酒を買いにきたことを悟った酒屋は,その後親切第一に商売に励み,縁日にはお地蔵様に酒を供えてまつったところ,お店は大繁盛し,健康と子宝にも恵まれたとのこと。江戸時代亨保の頃から今に語り継がれている。
銭掛の松 徳玄寺、銭掛の松
昔,名須川町の徳玄寺にみすぼらしい老人が現れ,仏像の首を銭三貫文で買ってくれと言った。「不思議な仏縁」と思い買い取った和尚が翌朝庭を眺めると,渡した銭が松の枝にかかっていた。ある時仏像の胴体を求め都にのぼった和尚はぴったりのものを見つけるが,二十金と高価な値がついていた。値の高さに驚いて,合わせた首をとろうとしたが離れず,不思議な因縁と思い買い取り本堂にお祭りした。この仏像を里の人々は参拝に訪れ,銭がかかっていた松を「銭掛の松」と呼んで,不思議な出来事を語り継いだ。
だんご坂 永福寺、だんご坂
昔,みちのくを巡幸していた弘法大師さまが,みすぼらしい姿で茶店にたどりつき,だんごを頼んだ。ところが茶店の婆さんはみすぼらしい乞食坊主をみて,「これはだんごではない」といってだんごを隠してしまった。弘法大師さまは,しかたなく茶店を出て坂を登っていきました。そこで婆さんが隠しただんごを出すと,みんな石に変っている。驚いた婆さんは石になっただんごを坂に捨てた。里の人は,弘法大師さまにお出ししなかったからだんごが石になったのだと噂し,だんごが捨てられた坂を「だんご坂」とよぶようになったという。
殿様の大蛇退治 神山神社
昔,南部の殿様重直公が狩りの用意を整えていると,静かな荒野をつきやぶるように大蛇のいびきのような音がした。殿様は「南部を恐れぬ不敵な大蛇め,予が退治してくれよう」と鉄砲を一発撃ち込むと大蛇は火を吹いて空に舞いあがり,7ヶ所にちぎれ飛んだ。この世のものとも思えぬ大蛇の最後に,殿様は城にかけもどり,災難を恐れて城中に弁財天を祭り,大蛇の成仏と国土の平安を祈った。里人は,大蛇の頭の落ちた場所のまわりに御堂を建立して大蛇の霊をとむらい,里の平安と家内の安全を祈って祝った。この神社は,巳山神社,のちに神山神社とかかれ,「みやま神社」と呼ばれている。
むかで姫の墓 むかで姫の墓、光台寺
昔,於武(おたけ)の方は,先祖がむかで退治に使った矢の根を持って南部家27代利直公に嫁いできた。於武の方が亡くなったとき,遺体の下の変色した形がむかでのはいまわる姿に似ていたことからむかで退治の矢の根石の怨念と人々は恐れた。利直公は,むかでが水を嫌うことから堀をめぐらせた土手に墓の建立を命じ橋が架けられるが,不思議なことに一夜のうちに壊された。その後もむかでによって何度も壊されたことから,墓守は石の間に鉛を流して防いだと云われる。人々はいつしか於武の方をむかで姫,墓地をむかで姫の墓と呼ぶようになった。
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八幡平市
八幡平伝説 八幡平
坂上田村麻呂は征夷大将軍として東北に侵攻したが、岩手山付近を根城にする大武丸を討った後さらに北へ侵攻した。物見の霧ヶ源太忠義、忠春兄弟が源太ヶ岳から峰伝いに進み、源太森をみつけ、ここから西北を望むと高い木もなく、枝振りの面白いオオシラビソに囲まれた中央の湿原に、鏡のように研ぎ澄まされた大小の湖水が点在し、色とりどりの高山植物が咲き乱れる幽玄の地が現れた。天下のいかなる名園も及ばないような神秘境であると同時に、戦略上もきわめて重要な地であることから、湖畔に戦の神応神八万大神官を勧請して戦勝を祈願した。やがて全軍この地に集結し、8本の旗を立てて八旗神社と名づけ、東征軍の武運を祈った。時に桓武天皇の御代、延暦22年(803年)10月の半ばであったという。やがて無事に東征を終えた田村麻呂は、再び全軍をこの地に集め、八幡神社にその神徳を感謝し、都に凱旋した。田村麻呂はこの地を去るに当たって感動を込めて「八幡平」と名づけたという。
太刀清水 長者屋敷清水
大武丸配下高丸悪路の一子登喜盛が居城として財宝を蓄えたと伝えられる長者屋敷は、蝦夷の砦とも言われる要害の地。登喜盛は征夷大将軍として侵攻してきた坂上田村麻呂の摂刀を受けて果てたが、その血染めの刀を洗ったことから太刀清水と言われるようになった。
豆渡り長者 長者屋敷清水
西の長者(長者屋敷の主)の息子と東の長者(西根の長者)の娘が結婚することとなった。西の長者の屋敷の前の沢には橋がなかったが、嫁が乗った馬が通るときにその沢に豆俵を積んで渡らせた。人々がこれを見て驚き、この渡りを「豆渡り」といった。それ以後、この長者を「豆渡り長者」と呼ぶようになった。
だんぶり長者伝説 米代川上流部 (安代町~鹿角市) 八幡平市長者前地区
むかしむかし小豆沢(鹿角市)に、働き者の若い夫婦が住んでいました。ある晩、神様が夢枕に立ち、二人はお告げ通り米代川をさかのぼり、たどりついた地を耕しました。収穫で忙しいある日、昼休みにうたた寝をしていた夫の口に、しっぽに酒をつけただんぶり(トンボ)が止まりました。だんぶりの後を追うと、甘いお酒の湧く泉が現われたのです。夫婦はそのお酒で大金持ちになり、「だんぶり長者」と呼ばれるようになりました。
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雫石町
「雫石」の由来 雫石神社
昔、雫石神社の境内に杉の木があり、巨木の根の奥から湧いてきた清水が徳利のような岩から「たんたん」と音を立てて落ちていた。地域の人々はこのお宮を水上様として拝み、「滴石たんたん」と呼んで親しんでいたことに始まると伝えられている。
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岩手町
沼宮内伝説
今からおよそ千二百年ほど前、人を襲う大蛇の怒りをなだめるため、人身御供となる母を想い、身代わりとなる切ない伝説。
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滝沢市
春子谷地伝説 春子谷地湿原
昔、鞍掛山の麓に夫婦と娘一人の炭焼きが住んでいた。その娘は「春子」といい、その顔かたち実に美しく、炭焼きの家にはおかれぬほどの美人であった。十八の春の頃から春子はしばしば真夜中に家を抜け出すようになった。腰から下がずぶ濡れで帰ってきた春子に母が問いただすと「逢の沢にいってきた」ともらすだけだった。春子は逢の沢にある「春子谷地」の主「吉さん」と恋におちていた。岩手山に雪が降って四方の山々が綿帽子をかぶったある日、空真っ黒く、雪混じりの疾風、大嵐の真夜中、春子はこの夜限り、慈悲深い父母の元を離れ、恋人の吉さんの誘うがまま、谷地に入って行ってしまった。
そして、この春子谷地の主になった。
岩手山 岩手山
昔、滝沢市のあたりに一番高くて、殿様みたいな岩手山と、少し背が低くてお姫様みたいな姫神山が仲良く並んでいた。姫神山は岩手山の着物を作ろうと糸玉を作っていた。ある日、岩手山は遠くに見えるやさしそうな早池峰山を好きになり見とれていた。姫神山はそれに怒り糸玉を岩手山に投げつけてしまった。その糸玉は岩手山にぶつかり小さな山になってしまったことから、岩手山は腹をたて姫神山を追い出した。姫神山は東の方へ歩いていったが北上川をこえたあたりで疲れて座り込んでしまった。次の朝岩手山は姫神山がまだ近くにいたので、たいそう怒り頭から火を噴いて怒ったとのこと。くる日もくる日もズドーンと大きな音をたて爆発し、真っ赤な火柱を吹き上げた。
お蒼前さま 鬼越蒼前神社
昔、滝沢市には沢山の馬がいて、野山を駆け回っていた。馬は田や畑の仕事をよく手伝っていたので、人々は「曲り家」に馬と一緒に仲良く暮していた。端午の節句には馬も人も仕事を休み、沢山のご馳走を食べ体を休めることにしていた。遠い村に住むある者は端午の節句にも馬を働かせていた。疲れた馬は動けなくなり、それでも棒でたたいて働かせようとしたが、ついに馬は怒って暴れだし、狂ったように遠くへ走り出した。山を越え谷を越え滝沢市鵜飼の鬼越山の途中でとうとう力尽き死んでしまった。その時突然空がかき曇り雷が鳴り出し、雲の間から「私は蒼前の神である。これから鬼越山で牛や馬を守ることにした」と神様の声がした。村人はおそるおそる山に行ってみると、1頭の白い馬が倒れて死んでいた。かわいそうに思った村人たちはお墓を作って神様の馬として、大切にお祀りすることとした。それからこのお蒼前さまには、毎年、端午の節句になると村の人々と馬が、大勢集まりお参りするようになった。やがて、あちらこちらの村からも朝早くから、大勢の馬たちがお蒼前さまに集まるようになった。そのうち、馬に色とりどりのきれいな着物を着せ鈴をつけてお参りするようになった。
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紫波町
南面の桜 紫波町桜町字本町川原1 志賀理和気神社
紫波町桜町の志賀理和気神社(通称を赤石神社という)の参道の古桜並木は町指定の天然記念物になっており、ひときわ大きい桜樹を「南面の桜」といって、次のような話が伝えられている。
今から650年ばかり前の南北朝時代のこと、都から左遷(官位をさげられ辺地に移住)された中納言藤原頼之という公家が、社前に居住しておりました。頼之は桜を植えて寂しさを紛らわしておりまして、里人は頼之を桜町中納言とあがめて、誰というともなくその辺を桜町というようになりました。ある年の桜の花の咲く頃に、大巻館の殿様が娘の桃香姫と供に参拝がてら花見に来ました。中納言の頼之も加わって、やがて賑やかな花見の宴が開かれたけなわとなり、舞おどる美しい桃香姫の優しい歌声に頼之は心を引かれ、桃香姫もまた頼之のりりしい気高さに心を痛め、やがて二人は相思相愛の仲となりました。
それからいく月かたって左遷の罪が許されて、頼之は都へ帰ることとなり「来年の桜の花が咲く頃に迎えに来るから、その時まで待ってほしい」と伝えて別れました。
やがて待っていた春となり桜が咲きました。夏も過ぎ冬となって一年たっても(一年すぎても)迎えも頼りもありません。また、春となり桜の花の咲く頃となり、桃香姫は一日も早く迎えが来ますよう、社に祈願を重ねました。
桃香姫は咲き匂う桜花に口すさびました。【南面の桜の花は咲きにけり都の麻呂にかくとい告げばや】
都の藤原頼之の元に届いた歌の便りに不音に深く詫び、程なく迎えにきたという、桜にまつわる伝説です。
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